生体肝移植 ドナー 備忘録

生体肝移植のドナーになった新人看護師の備忘録。Twitterもやってます cherinko@生体肝移植ドナー https://mobile.twitter.com/donor_openurse

★あと1日 明日の私が決めること

手術前夜でございます。病棟は21時に消灯なはずなのに、すみません。全然寝てません。というのも、前日になりまして色々あったからなんですが……

 

今日の午前に入院いたしました。採血やら身体測定やら麻酔科の外来受診やら、色々術前にはやることが多くて大変ですね。しかもお昼までしかご飯食べられないしそのあと下剤飲んで全てを出されるし。患者さん、皆さん本当にすごいなと思う。それと同時に、明日の手術に関わるいろんな職種の方が説明や同意、確認、挨拶のために患者の私のところに訪問してくれるわけです。この病院は、術前に手術介助に入る看護師さんも挨拶に来てくれるようで、感動しました。手術部の看護師って、ほんと忙しくて、なかなか患者さんの術前訪問っていけてないところが多いように思います。それでも、全ての手術にこうやって術前に訪問するって聞いて、ホスピタリティを感じたというか、もう、すごいなって思いました。患者さんって、医療職が思ってるよりずっと不安で、なにが起こるかわからなくて(私は分かってるんだけども、それでもってことです笑)わからないことがわかるようになる、見えなかったことが見えるようになる、手術に関わる知らない人を知れるってすごく安心に繋がるんだと思うんですね。だから術前訪問って、すごくいいと思うっていう!!!!(小並感)

 

まぁその色々あったってところの話なんだけど今日、そういった術前の説明やらなにやらのメインとして、執刀医からドナーとレシピエントへの「インフォームド・コンセント」がありまして、移植コーディネーター、担当看護師さん、家族が同席してくれました。

インフォームドコンセントっていうのは日本看護協会のページによると「患者・家族が病状や治療について十分に理解し、また、医療職も患者・家族の意向や様々な状況や説明内容をどのように受け止めたか、どのような医療を選択するか、患者・家族、医療職、ソーシャルワーカーやケアマネジャーなど関係者と互いに情報共有し、皆で合意するプロセスである。」とされてて簡単に言うと、「医療者が患者に説明して患者が十分に理解して受け入れて最終的に治療とか手術の同意を出来るようにする」ってことでしょうかね。

 

インフォームドコンセントの時、ドナーである私の執刀医からは、どのように手術を行なっていくか時間や方法、肝臓の何割を摘出するか、私が気にしている傷は実際どのようになるか、肝臓の回復にかかる期間や静養期間をどう過ごせばいいか、術後の合併症がある場合についてなど、主にドナーの私の手術や術後のことに関しての説明がありました。レシピエントの執刀医からは、手術時間や、私から摘出した肝臓をどのようにレシピエントに繋いでいくか、術後の合併症や免疫抑制剤の服用について、などレシピエントの手術や術後の説明がありました。

 

何があったかって、私がその傷について具体的に説明を受けてまた改めて「自分の健康な体にメスが入る」事実、「傷が残る」事実に直面してしまったことで、1か月前のときの気持ちを思い出して、落ち着いていたところからバラバラと崩れてしまったんですね。

写真を撮ってもらって、前を向くって決めて。あの時は、前を確かに向けていたのに、どうしてもまた、私のオトメゴコロがすごく私の決心や覚悟を揺さぶってくるわけです。

 

先生方が傷が目立たないように最善を尽くしますって、言ってくださってるのに。それでも堪え切れなくて、同意書にサインもして、インフォームドコンセントが終えた時、移植コーディネーターさんに不安なことはないかと聞いてくださると、涙が溢れてしまって。

私は正直ものすごく悔しい。ここまで先生方やコーディネーターの方、看護師さんもみんなが全力で支えてくれて、今日まで持ってきてくださっている。それなのに、こんなに自分の身がかわいいかと。移植をすればレシピエントの命を、私の肝臓が繋ぎとめられる。それなのにこんなにも我が身を思ってしまう自分が情けないと言う気持ちでした。

 

そんなこんなをコーディネーターさんに面談で伝えていたら、コーディネーターさんから移植を辞めることもできる、逃げていい、本当に手術することを納得できるまで、待つことだってできると、提案されてしまったんですね。

移植コーディネーターとして、このいくつかの選択肢を今の私に与えることは、当然の判断だと思うし、実際冷静にみれば、かなり私が手術に対して怖気付いていることから、まだ手術に心の準備ができていないと判断できると思います。

 

ただ私の中では、ドナーになる覚悟は揺らがないもので、「明日」手術をすることしか考えていなくて。「手術を延期する」という選択肢は全く想定していないものだったんです。だから、その選択肢を出された時「えっ、どうしよう」と思ってしまいました。

冷静に見れば「まだ」心の準備ができていないかもしれないけれど、私としては時間をあけたところで傷ができることへの恐怖が薄れるとも思えなくて。だってあの傷ができるっていうことはドナーになる時点で逃れることはできない通過地点の出来事で、でもドナーになることは私の中で揺らがない決意だったから…

コーディネーターさんには明日の朝になってやっぱり手術を受けるのを延期したいと言ってもいいんだと、言っていただいて面談を終えました。

 

予期せず与えられた選択肢に私は戸惑い、迷いました。自信を持って「延期しない」「逃げない」選択をしないと言い切れない自分がいることが、情けなくて悔しくて、自分を弱いと責めました。でも家族もレシピエントもコーディネーターさんも、みんなそれは当たり前のことだと認めてくれて、明日の朝の私が、決めていいと、言ってくれました。

自分の中では「ドナーになる」「肝臓を提供する」こと自体は、はっきりと決心して決めてることなのに。決めてるのにね

 

そして私は、自分の中での迷い(なんの迷いかわからないけど)を断ち切りたくて、また「写真」を残すことを選択しました。

大学卒業のとき、私にいつでも帰れる居場所を作ってくれた大切な人たちがいる部活から、チェキ(カメラ)をもらいました。デジタルの時代だけど、大好きな人たちとの写真を、手元に置ける形で残したくて、これをお願いしたんです。

たまたま宿においてきた荷物の中にこのチェキを持ってきていたのを思い出して、家族に取りに戻ってもらって(ほんとごめんなさい)、レシピエントに撮ってもらいました。

 

以前、写真を撮ってもらった時の気持ちともまた、違う。最後に「よしっ!」って手術に臨めるための写真でした。

レシピエントが撮るの下手で4枚しかないのに3枚はちょっと微妙でショックでしたが笑、その中の1枚が、私の求めてた、手術前日の「わたし」だったから、「よし」って明日を迎えられそうです。

 

レシピエント自身も応援してくれる家族も

今日、ここまで来られただけで、十分だと。色んな人に感謝していて、それはもちろん私に対してもであって、明日の私が「手術をしない」と言っても、ドナーになることを今日まで覚悟していたいう私の気持ちだけで十分だと言ってくれました。

 

明日の私がきっと決めてくれると、信じて寝ます。今日はたくさんの友人が連絡をくれて、中には泣いてくれる子もいて、私は本当に恵まれた人間だと実感しました。この、ドナーになれるという機会だって、めったに体験できることじゃないと思う。ある種恵まれていると思います。

 

未来の自分が後悔しない選択をしてね